おはようございます。
昨日1/17は阪神大震災があった日でしたね。
1995年1月17日午前5時46分。
当時私は小学校低学年でした。
二段ベッドの下段で寝ていた私は揺れには気づかず、
父と母が慌ただしくしていることで目が覚めました。
父がタンスをおさえている姿は今も覚えています。
2歳年上の兄は全く気付かず寝ていました。
ボ~ッとタンスをおさえる父の姿を眺めていると
下から突き上げるようなドンッ!!っていう感じの揺れがきました。
当時小学生なので、震度がどうとか、震源地がどこだとかは全く気になりませんでした。
その日は普通に学校があったと思います。
登校すると、クラス中が地震の話で持ちきりでした。
中には家のトイレの便器が割れた!!とか
食器棚があいて、食器が落ちていっぱい割れた!!とか言ってる子もいました。
我が家は幸いとくになにも破損はなかったように記憶しています。
今思えば、ものが多く、決してきれいとは言えない状態の家だったんですが
よくなにも壊れなかったなぁって思います。
学校から帰ってきて、母にニュースを見せられ、
今朝の地震、こんな大変なことになってるよ。と。
朝早い時間だったけど、地震後の火災によって被害が拡大してようですね。
もう少し時間が遅く、朝ご飯のため火を使う人が多い時間だったらもっと被害拡大していただろうと
言われていましたね。
あの揺れの中、出産した方や、陣痛中の方もいただろうし、
産まれたばかりの赤ちゃん抱いておびえていた方もいたはず。
病気で動けない方、入院中の方、仕事中で家族と離れていた方。
いろいろな方がいたはず。
3.11東日本大震災の時、私は仕事中で、子供は当時3人で、3人とも保育園に行っていました。
グワングワンと長い時間の横揺れ・・・というより回るように揺れていました。
隣に席の同僚が『コレ見て』と動画サイトにアップされていた東北の映像を見せてくれ
津波に流される車や家などが映っていました。
それを見て一気に不安が押し寄せ、
定時に急いで保育園にお迎えに行きました。
幸い保育園も被害はなく、子供たちも無事でしたが
災害時に家族と離れているってめちゃくちゃ不安でした。
いつ来るかわからない地震。
備えは本当に必要だなって思います。
ウチはl大家族で子供も小さいので、
いざってときにみんなを連れてすぐ逃げれる自信はありません。
でも、できる限りのことは普段からしていようと心がけています。
例えば、スムーズにみんなが玄関に向かえるように廊下に物を置かないとか。
リビングなんかもそうです。
散らかってると、足が悪い次女なんかはしごく大変。
1分1秒が命取りになる災害時に、常に備えて意識を持ってるだけでも
少しは違うんじゃないかって思ってます。
最近は耐震強度にこだわったお家が多いですが、
昔からの家は追加で耐震工事しないといけないですよね。
昔からの家に住んでいるのは、年金生活のお年寄りが多いと思います。
耐震工事のこともよくわからないし、
費用もそんなに出せないって方すごく多いと思います。
我が家も、祖父が住んでいた家を譲り受けて住んでるので築46年。
もちろん耐震なんてないようなボロ家です。
なんか対策してくれたらいいんですけどね、国が。
お年寄りしかいないお家限定とかでも。
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