昨日は次女の病院でした。
9時にはつかないといけなかったので
保育園には事情を話しておき、8時前に預かってもらい、8時に家を出ました。
その前には子供たちの朝ご飯、次女、次男、三女の着替えの手つだい、
ゴミ出し、自分の着替えやメイクなど、バタバタ。
なんとか8時に出発し、付き添いの母をお迎えに。
少し混んでいて、ギリギリ9時前に駐車場到着。
まだ2回目の病院なのでいろんな科の場所がわからずうろうろ・・・
レントゲン10か所、リハビリの相談、採血、診察、点滴で、終わったのが5時すぎ。
会計もいちいち待ち時間が長く、
病院を出れたのが5時45分。
保育園は6時半から延長料金かかってしまうので気持ちは焦るし、
母はそのあと予定があったため、さらに焦る。
ごめんねって気持ちとか。
保育園のチビ2人はいつも5時お迎えで、
担任の先生意外泣いて嫌がるので
担任が帰ってる時間になってしまってるので泣いてるんじゃないか・・・とか。
診察では結構ショッキンングな内容を淡々と告げられました。
股関節がすり減っていて、一番心配です。とか。
出産時は普通の産科ではなく、知識がある大きな病院でしか出産できませんとか。
将来歩けなくなることも全然ありえますとか。
一番びっくりしたのが、
大人の平均値が50のところが次女は1000越えてるとか。
一瞬頭真っ白になりました。
とても重症な患者さんですって言われて。
そうだったんだと初めて知ったんです。
痛みを訴えて1年間は大きな病院へは行かず、近場でレントゲン撮ってみたりしていました。
リウマチだなんて想像もつかなかったし、知らなかった。
あまりに痛みが長いので、っかりつけの小児科に相談したら、大きな病院で検査しようってことになって
それから1年は某総合病院へ通い、リウマチと診断され、治療してきましたが
一向に良くならず、テキトーな感じの主治医に不信感が生まれ、
かかりつけの小児科に再度相談し、今の病院に転院しました。
前回の病院の主治医は整形外科の先生で、いまの主治医は小児科の膠原病担当医で女性なこともあり
とても物腰やわらかく、優しいし、診察もかなりの時間をかけて丁寧に診てくれます。
次女もお気に入りの先生。
そこも、転院してよかったポイントです。
今の主治医は、まず炎症をおさえて、薬が効いてきたらリハビリしていきましょうという方針。
前の主治医からリハビリの言葉は一度も出ませんでした。
レントゲンを見ながら話を聞いたのですが、
全体的に、軟骨が減っていることと、痛みをかばうため、いろんなところに負担がかかっていて
このままだと脱臼もありますと言われました。
そのため、しばらくは頸椎カラーを着用しましょうと。
足も、あまり歩かないので、偏平足になってしまっているので
次女の足の型を取り、土踏まずを盛り上げた形の専用中敷きも作成しようとのことでした。
次回の病院が2週間後なので、それまでは、飛行機マクラみたいな
ドーナツが少し切れたような形のを首に巻いといてとのことでした。
ちょうど我が家にあるので、カラーできるまではそれで代用しようと思います。
一気にいろいろ言われてしまってショックが大きく、
待ち時間や、保育園のこと、母の時間のことを気にして
病院からずっと泣きそうなのをこらえていました。
帰ってきてダッシュで保育園にお迎えにいくと、
延長の先生が紙芝居していて、
延長時間の子供たちも結構いて、
ウチのチビ2人は私の顔見たら飛んでくると思ったのに
『紙芝居終わってから帰る!!』と・・・。
なんだか成長していて逆にホッとしました。
私いなくても結構楽しくやってるなって。
良かった、泣いてなくて。
連れて帰ってきてそっからご飯のしたく。
小学生2人はずっと家で待ってくれていたので腹ペコです。
ごはん作りながらショックなことを思いだし、号泣。
それを見た長女も号泣。
長男は気を遣い、
次男は気づいておらず
三女はティッシュをもってくる、
本人の次女はケロッとしていました(笑)
少し泣いて、10分後にはケロっとしている私。
昔からキリ科wが早いことで有名なので
そっからは、これからのことを考え始めました。
私がメソメソしてられない!!!
今日から本気で死ぬ気で色いろ方法調べて考えていこうと思いました。
こんなことでもなかったら私は何事にも本気になることはなかったと思うし。
次女のおかげ。
シェーグレン症候群も発症していますが、主な症状である乾燥症状は10年後に出てくる可能性があると言われていますが
10年後といえば18歳。思春期。
この子は青春できるんだろうか。
恋愛はできるのかな。
好きな子ができても、指が曲がってるとか、歩き方が変とか言われて傷つくんじゃないだろうか。
結婚なんてできるのかな・・・
不安で頭がいっぱいになりました。
この子が結婚できなくても、恋愛経験できなくても、
家にずっといても楽しいように。
仕事ができない体になっても不自由しない生活が送れるように
私と夫で今から頑張らないと。
そう強く思った日でした。
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